2024.6.30

「テモテとエパフロデト」(ピリピ2:19〜30、第二テモテ3:1〜12)

 

ピリピ人への手紙には人々の名前がたくさん出て参ります。信仰上の悪い例もありますが、今日取り扱うテモテとエパフロデトは良い模範として語られています。

今ローマで捕えられているパウロとともにテモテ(神の栄誉)がいたようです。彼はパウロの第二回伝道旅行において選ばれましたが、まだ20歳位でした。それからパウロと共に旅をし、しばしばパウロの代理として、各地の教会に派遣されました。パウロの手紙の中で、第二コリント、ピリピ、コロサイ、第一第二テサロニケ、ピレモンなどは、実際テモテが執筆したと思われます。今年春に学びましたテモテ第二の手紙には、彼は性格は良いが、議論好きで、迫害には気が小さくて不向きであるような、リーダーシップの弱さが描かれていました。しかし今日のテキストではパウロの称賛の言葉が書かれています。

 

「テモテのような心で、親身になって、あなた方のことを心配しているものは、他に一人もない。しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたが知っている通りである。すなわち子が父に対するようにして、私と一緒に福音に仕えてきたのである。」(ピリピ2:20、22)

この当時30代後半になっていたのではないかと思われますが、明らかに彼が信仰だけではなく、人格的に成長していたようです。

 

もう一人の人物はエパフロデト(ハンサムな)ですが、彼はピリピ教会で成長し信頼され、ローマのパウロに贈り物を届けました。しかしその長旅のせいか、何かに感染したか、到着と同時に重病で死ぬばかりの状態であったようです。彼は母教会の人々に頼りないものと思われたくなかったのか、帰ることを大変気にしたようです。

 

「しかし、差し当たり、私の同労者で戦友である兄弟、また、あなた方の使者として、私の窮乏を補ってくれたエパフロデトを、あなた方のもとに送り返すことが必要だと思っている。彼は、あなた方一同に、しきりに会いたがっているからである。その上、自分の病気のことがあなた方に聞こえたので、彼は心苦しく思っている。彼は実に瀕死の病気にかかったが、神は彼を憐れんでくださった。…こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって、彼を迎えて欲しい。彼は、私に対して、あなた方が奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。」(ピリピ2:25〜30)

 

この手紙に隙間に挟まるようにして、次のような言葉が書かれています。

「人は皆、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めていない。」(ピリピ2:21)

これは多くの聖書研究者にとっても不可解な表現ですが、パウロが日ごろ思っていたことなのでしょう。クリスチャンにはなったが、人は自分のことをまず第一に考えているということですね。

テモテもエパフロデトも自分のことよりもイエス・キリストのことを第一に考えて、命をかけているということを伝えたかったのでしょう。

 

神様は私たちを救いに導いてくださり、神の子供としてくださいますが、常に成長することを望んでおられます。

イエス・キリストは、最後の晩餐で、ペテロに、「しかし私はあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それであなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22: 32)と言われました。その後ペテロはイエスを三度知らないと否んだだのです。キリスト復活後、ペテロは深い反省と聖霊の導きによって、多くの信徒たちの痛みのわかるリーダーとして用いられました。

今、テモテが、自己中心からキリスト中心に大きく成長した姿を、パウロは見ながらピリピ教会に紹介しているのです。

教会は人間の集団ではありますが、一人ひとりの成長と、人格的円熟について、祈りつつ、見守っていく温かい人間関係を求める集団です。

数日前に、能登半島地震被災地支援のゴスペルコンサートがありました。そこで歌われた「アダム」と言う曲の説明で大変教えられました。沖縄の陶器師は、粘土を選んで練りますが、その土には自我があって、なかなか思うような形にならないそうです。7年位練り込んだ土は陶器師の手の思うままに形成されると言うのです。

私たちはクリスチャンとはなってもそれぞれの自我を持っています。癖とも言うことができるでしょう。そこで神の御心に沿うように動けないのですね。しかし、試練を通し、練り上げられてキリストの御心に沿うように生きることができるのでしょう。その成長を聖霊によってさせていただきたいものです。

今週も神の御手があなたと共にあり、あなたの信仰が強められてまた一歩成長することができますようにお祈りいたします。

小田 彰