2024.9.15

「喜んで耐えかつ忍び」(コロサイ 1:9〜14、マタイ 7:15〜21)

 

ローマの獄中から発信されたパウロの手紙は、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、このコロサイ人への手紙とピレモンへの手紙等ですが、共通の表現があります。特にパウロが残した四大祈祷(エペソ1:16〜19、3:14〜19、ピリピ1:9〜11)の一つが今日のテキストです。

 

コロサイ教会にはグノーシス主義者が入り込んできて、唯一の救い主イエス・キリストの光を弱くしてしまい、哲学の知恵を見せつけようとする傾向がありました。そこでパウロは、霊的知恵の必要と信仰による力の必要をこの祈りの中で訴えています。

*霊的知恵

「あなた方のために祈り求めるのは、あなた方が、あらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、主の御心にかなった生活をして、真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って、実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。」(コロサイ1:9、10)

 

*信仰による力

「更にまた祈るのは、あなた方が、神の栄光の勢いに従って賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、光のうちにある聖徒たちの特権に預かるに至るものとならせてくださった父なる神に感謝することである。」(コロサイ1:11、12)

 

大変整ったギリシャ語の原文から日本語に翻訳されていますので、一気に読んで理解するのはむしろ難しいかもしれません。

しかし、その中心テーマは、この世の知恵ではなく、霊的な神の知恵を求めなさい。

信仰によって与えられる神の力をいただいて、どんなことにも忍耐しなさい。

 

そして、今日の中心テーマは

「何事も喜んで耐え忍び」ということですね。教会の中におけるクリスチャン同士の交わりにおいても、意見の食い違いや争いが起こるものです。そこで大切な事は、イエス・キリストの御言葉に立って、耐え忍ぶことですね。口語訳聖書は、「耐えかつ忍び」と訳したところに深い意味があります。口論しない、無駄な争いをしない、どこまでもイエス・キリストのお姿を求めていくべきことが語られています。

パウロの心には、十字架にかけられる前に、唾をかけられ、頬を打たれ、屈辱的な言葉で罵られたイエス様のお姿があったでしょう。イエス様のお姿は「沈黙」でありました。

 

最近励ましを受けているシスター渡辺和子先生の言葉に、「人間は淋しさの中で成長する」というのがあります。まさに信仰者は、迫害や孤独の中で成長するのだということを教えられますね。今まさにパウロはローマでそれを深く経験し、コロサイの人々に語っているのではないでしょうか?

 

今週も光の世界に生かされている者として、あらゆる問題課題、迫害や試練、病や弱さの中にあっても、希望を持って耐えかつ忍ぶことができますように。

そこで神の恵みを感謝することができるでしょう。

小田 彰