「御子は神のかたち」(コロサイ 1:13〜20、ヨハネ 8:53〜59)
先週のパウロの四大祈祷に続いて、原始キリスト教会の礼典式文ではないかと言われる極めて格調の高いキリスト論が展開されています。
福音書のイエス像は、暖かい人格、病めるものを癒す奇跡の人、自然界をも支配する超能力者、律法主義者の偽善を諫める預言者、そしてその恨みをかって十字架上に殺された人など、ドラマの主人公のように描かれています。
(今日社会派的な見方をする人々が、人間イエスを求めるようなものです。)
パウロは、このナザレ人イエスを断罪して「十字架にかけよ」と叫んだリーダーのひとりです。
しかし、ダマスコ途上で復活のイエスに会ってから、聖書を読み返し、聖霊の霊感を受けて、目が開かれた時、天地創造の初めから存在したお方で、神の御業をなし続けられた永遠的なお方であり、否神御自身であることに気がついたのです。
コロサイ教会の中に潜入し始めていたグノーシス主義者達が、イエスを一預言者に引き下げてしまう傾向にあったことに気づき、大胆なキリスト論をここに展開しています。
現代の神学者たちの中においても、たくさんの議論のある部分であり、私たちが読み過ごすことのできない重い意味を持っていることに留意しなければなりません。
結論的に言えば、このように超自然的なお方であるゆえに、私たちは2000年経っても、パウロの時代と変わることなく、その御言葉を求め、すがりついてお従いすることの中に救いを見出そうとしています。
ですから、このお方のために、私たちの命までも捧げる価値があるのです。
パウロがそうであったように、私も命をかけているのです。
[福音の本質]
「神は、私たちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださった。
私たちは、この御子によって贖い、すなわち、罪の赦しを受けているのである。」(コロサイ1:13.14)
[イエスの真の姿]
*創造とキリスト
①「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先立って生まれた方である。」(15節)
人類の歴史に先立って存在したお方。
②「万物は天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、皆御子にあって造られたからである。
これら一切のものは、御子によって造られ、御子ために造られたのである。」(16節)天地創造とキリスト。
③「彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。」(17節)今日も世界の歴史や、国々の争いや、私たち一人ひとりの生命と生活のすべての背後にキリストが存在します。
④「そして自らは、そのからだなる教会の頭である。
彼は初めのものであり、死人の中から最初に生まれた方である。
それはご自身がすべてのことにおいて第一のものとなるためである。」(18節) ここで言う教会は信仰者のすべての人を指しています。
第一のものとはヘブライ主義の「長子」を意味し、神の恵みと権威を相続していることを指しています。
*和解とキリスト
⑤「神は、御旨によって、御子のうちに、すべての満ち満ちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち地にあるもの、天にあるものを、ことごとく彼によってご自分と和解させてくださったのである。」(19.20節)
闇の支配の中に存在した私たちは、光の世界に生きるために、救いを喘ぎ求めていました。
神はイエスを地上に遣わし、神との和解の道を確立するために十字架に殺されました。
その血潮の赦しを信じる者たちが、教会を形成しているのです。
さて、このような重い文章を読んでくださったことを感謝いたします。
それでは私たちの生活にどのような意味を持つのでしょうか?
私たちの人生のすべての問題について、この超自然的な力と、絶対的な神の恵みを持っておられるイエスに祈り求めるべきです。
必ず答えられます。
最近、試練の中に生活している方が「再臨の時はいつですか?まもなくですか?」と尋ねられました。
早くイエス様に来て助けていただきたいとの叫びでした。
しかし私たちはこの問題についても「いつか?」ではなく、イエス様をどのように捉え理解しているかの方が大切ではないかと申し上げました。
今日も見えない神のかたちであるイエス様から目を離さないでいきましょう。
このお方の中にすべての答えがあります。
兄弟姉妹の上に祝福がありますように。
小田 彰